エクアドル人が新しい事をやらないのは、○○に対して厳しいから
Gandhi(ガンディー)@南米エクアドルのコーヒー農園です。
活動を始めた当初から、ずっと思っていることがある。
「エクアドル人はアイデアがあっても、なんで実行しないんだろう」
最近まで、ただの怠慢もしくは怖がりだと思っていた。
しかし、先日その謎が解けた。
それはある火曜日の夕方。
職場のサッカーに誘われたので行ってみた。
皆さんご存知の通り、僕は運動が得意ではない。
サッカーも上手いわけではない。
でも、体を動かすのは好きだし、フットサルも割と楽しんでやれる。
だから、軽い気持ちで参加した。
ところがどっこい、僕が失敗を重ねるたびに罵倒のシャワー。
そして、気付けばゴールキーパーしかやらせてもらえない状況に。
(幸いゴールキーパー職は誰も専門がおらず、僕でも“人並み”にこなせた。)
すごく、嫌な思いをした。
試合後、優しく声をかけてもらったりしたものの、こういうスポーツの最中は割と本音とか本性とかが見えるもの。
日本では、うまい人ほど敢えてパスくれたり、僕の悪いポジショニングをカバーしてくれたりして、気を遣ってもらえた。ミスも、どんまい!次行ける!と優しくフォローしてくれた。
僕のわがままではあるが、プロではないのだから、そうしてもらうのが普通だと思っていた。
しかし、ここはエクアドル。
ここはできないことに対してすごく厳しい場所なのだと気付かされた。
別の日。サッカーの経験から出た仮説をぼんやり考えながら、活動先へ行く。
コーヒーを淹れる事には定評のある僕なので、いつものようにコーヒーを作らされる。
自分としてはまあ美味しく淹れたつもりなのだが、この日は大不評。
たんなる好みの差なのだけど、「Gandhiはコーヒーの淹れ方忘れたのか」といじられる。
そして、コーヒーの挽き具合が最適なものではないと指摘される(そもそも、好みの問題なので最適とかいうものはない)。
割とコーヒーの淹れ方に詳しい同僚がそう言うものだから、周りの取り巻きもこぞっていじってくる。
失敗を執拗に笑う。(何度も言うが、ただの好みの差であって失敗ではない)
それは、約24時間続いた。
普段あんまり気にしてなかったけど、ここでは、失敗に対して必要以上に責められる。
特にできる人や物事を知っている人が、積極的に攻めてくる。
半分冗談交じりではあるが、いい気分はしない。
エクアドル人も、馬鹿にされるのは嫌いに違いない。
だから、苦手なこと、知らないこと、失敗するようなことは絶対にしたがらない。
何かを始めるときは、必ず見識者や権力者の後ろ盾を欲しがる。
失敗したら即アウトっていうのは、なんだかアメリカやらヨーロッパやらの企業で働いている気分になる。
きっと、この文化は発展途上国だからではなく、欧米由来なのだろうな。
西洋のプロの世界は厳しい。
でも、チャレンジの意思を削ぐのは非常に勿体ないと思う。
教育レベルの高い欧米では、プロフェッショナルとして厳しい世界を生きるのは悪い事ではないと思う。
しかし、ここは教育機会が均等ではないエクアドル。
失敗を恐れずにチャレンジでもしなきゃ、上のステージには上がれない。
だから、僕はエクアドル人の失敗に寛容でいたい。
そして、僕の前では失敗してもいいんだよ、ということを感じてもらいたい。
それが、前に進むきっかけになると思うから。

マナビにもマンゴーの季節がやってきました