現役青年海外協力隊員が国際協力について考えてみる
Gandhi(ガンディー)@南米エクアドルのコーヒー農園です。
最近、協力隊同期がこんなニュースを教えてくれました。
日本以上の経済力を持つ国に日本が支援をしているなんて、違和感ありますよね。
だから、人的協力も含めたすべてのODAはやめましょう。
という話です。
言いたい事は分かります。僕も同じような感覚を持っていました。
しかし、このニュースを教えてくれた同期も複雑な心境を伝えていましたが、
僕ら青年海外協力隊員の中にも、中国に派遣され、現在活動をしている人たちがいます。
現在中国で奮闘している仲間たちは、意味の無い活動をしているのでしょうか?
世界第2位の経済力を誇る中国に対して、本当に協力支援は必要ないのでしょうか?
(記事中に、今後は対等に開発協力をすると言っていますが、これは第三国に対する援助を一緒にするという意味で、中国に対する国際協力事業はやらないと理解しています)
豊かな先進国日本は貧しい発展途上国に救いの手を差し伸べてあげている良い国
もしかして、僕たちは「国際協力」=「豊かな先進国日本が貧しい発展途上国に救いの手を差し伸べてあげている」なんて上から目線な考え方をしていませんでしょうか。
確かに、日本が経済イケイケで、かつ途上国に富裕層が顕在化していなかった頃は、事実だったかもしれません。
お金が足りなくて困っている人たちに膨大なお金を提供することで、問題が解決していました。インフラを整備ことで、支援による豊かさを可視化できました。
しかし、状況は変わりつつあります。
というより、ただお金を渡すだけでは意味が無い事に世界が気付くようになりました。
今でもお金を提供すればできると主張する人もいるでしょう。
ただ、形だけで継続性を持たないのが現状です。日本の作る素晴らしいインフラないしはシステムは、日本人のきめ細かいメンテナンスなしには機能しない。
仮に日本の新幹線をインドネシアに導入したところで、インドネシア人だけで日本と同じ水準の管理運営を行うのは不可能でしょう。
また、僕ら青年海外協力隊も、ただ行けば役に立つわけではなくなっています。
どんなに途上国でも、ある程度の教育を受けた人はいるし、権力構造も出来上がっているからです。
確固たる能力または権威の無い日本人が途上国に行くだけでは、意味のある活動はできません。
意味のある活動がしたくとも、既存の権力構造の中では歯が立たない。
実際に、僕の活動先であるエクアドルも、学位や肩書がモノを言い、学位と異なる見識を伝えたところで、あまり本気では聞いてくれません。
仮に、コーヒー栽培について農業の学位を持っているエクアドル人と物理学を勉強した僕が意見を述べたなら、農業学士の言う事を100%信頼するでしょう。
次第に「せっかく支援しに来てやってるのに」と協力隊員も意固地になります。
こんな目に遭うために日本からわざわざやって来ているわけじゃないのに。と。
国際協力っていったい何でしょうか。
足りない部分を相互に助け合うのが協力では?
協力って文字列をよく見たら、力が4つもありますよね。
これって、意味があると思うのです。
僕は勝手に以下のように解釈しました。
1つ目は、自分だけが持っている力
2つ目は、相手だけが持っている力
3つ目は、自分と相手の持っている力
4つ目は、どちらも持っていない力
1番目と2番目は分かりやすいと思います。
しかし、意外と忘れがちなのが、相手の力も必要だという事です。
相手の力あってこその協力なのです。
自分だけの力では協力なんてできないのです。
3番目は、相手も自分もできることで成果を増幅させることですね。
そして、4つ目。どちらも持っていない力。ちょっとややこしい。
しかし、わざわざ「協」の字にさらに力を追加しての「協力」なので、この4つ目が重要なポイントと言えそうです。
自分なりに解釈すると、これは、相手も自分も潜在的に持っていたが相手と交流するまでは開花していなかった力です。
どちらも持っていなかったが、二人合わさると発揮できる新たな力。英語風に言うとシナジー。カードゲームで言うとコンボ。
これが、協力のミソかもしれません。
変な例えで申し訳ありませんが、ダンスしたことが無い日本人がエクアドル人にパーティに連れていかれた結果、独特のリズムを作り出し、それが面白くてエクアドル人も真似して楽しむ。とか。
何が言いたいかって、「協力」って相手との相互作用で初めて成立する言葉なのですよ。
国際協力を上から目線で解釈していることが間違い
国際協力のイメージって、未だに「援助してあげる」と認識している人が多いと思います。
僕も、そうでした。もしかしたら、未だに無意識でそう思っているかもしれません。
でも、その上から目線、もうやめませんか。
国際協力は、相互作用なのです。
相手の力も必要なのです。
途上国にいる僕たちは、途上国の人たちと対等だと考えないといけないのです。
先の協力隊の実態の例で言うと、僕らは自分たちの能力を誇示して途上国に利益を与えるのではなく、日本人だけでは成し遂げられない事を、その国の人々の力をうまく頂戴して実現させていく必要があるのです。
これが協力です。
経済力のある国への国際協力は不要か
ここまで読んで頂いた人たちはもう既にお分かりでしょうが、協力するのに相手の経済力なんて関係ありません。
アメリカだけでは解決できない問題を解決するために、世界No.1の経済力を持つアメリカに国際協力しにいく事だって、できない事ではないと思うのです。
反対に、途上国が日本の問題を解決するために協力することだって可能なのです。
話を最初のニュースに戻します。
中国は経済力こそはありますが、貧富の差が激しい国。
権力構造がモノを言う国。
環境汚染が常態化している国。
中国だけで、諸所の問題を解決できると思いますか?
また、中国の問題を共に解決することで、日本にも得られるものはないのでしょうか?
ここで、皆さんへ改めて質問です。
中国への国際協力が不要だと言い切れますか?
正直、通算10年以上の国際農業協力の経験(野外での基礎研究%学生教育、論文指導など)を有しておりますが、あらためて、初心に戻って考えさせてくれる内容でした。協力の4つ目。なるほど!これは、実際、ブラジルやエクアドル(2014~16)における研究事例の中に、具体的なものがあります。
この考えは、物理の理論から発想するものですか? 僕は物理が苦手で、人生挫折の一つ(英語も!)であり、化学の道に進みましたが・・・。