論理の飛躍が気になるエクアドル

Gandhi(ガンディー)@南米エクアドルのコーヒー農園です。

海外で働くと、コミュニケーションに苦労することは想像にたやすいと思います。

そりゃ、母国語が通じないんですから。

中国にいた頃も、エクアドルでも同じ問題に直面しています。

完全アウェーの中、必死に言葉を覚えようともがいています。

しかし、言葉が話せたらコミュニケーションが取れるんでしょうか?
僕らが思っていたほど、容易ではない気がしています。

エクアドルに来て1年。スペイン語は少し上達しました。

なのに、コミュニケーションのストレスは以前よりも強く感じています。

意思疎通の障害は、言語の壁だけじゃないような気がしています。

エクアドル人は論理が飛躍している

ちょっと前から気になっているのが、こちらの人は論理がよく飛躍していることです。

論理の飛躍とは、「A=Bで、B=C、だからA=C」と説明するべきところを、「AだからC」と断言してしまうことです。

実際の活動で直面した実例を紹介しましょう。

みなさんご存知の通り、コーヒー界では一般に「標高が高いコーヒーほど高級」という概念が浸透しています。

日本人なら、「なんで?」とまずは疑問に思うことでしょう。

僕もこの概念を知ったときは、理由を調べました。

どうやら科学的根拠はないらしいですが、

「高地は気温が低く、コーヒーの実がゆっくり育つので養分の詰まった実ができやすい」
「昼夜の寒暖差がコーヒーの成長に寄与している」

といった説があるみたいです。
これは、なんとなくしっくりきます。

このあたりの考察は「低地ながら平均気温の低い」マナビで作られるコーヒーをプロモーションするうえでとても重要になってきます。

そんなわけで、同僚たちに「何故高地は良いコーヒーが作れるのか」を理解してもらいたく、コーヒーの見識を持つと言われるエクアドル人の「先生」が講習会を開いてくれた際に、あえて質問してみたんです。

ところがどっこい、

「高地のコーヒーは酸味が強いから良いとされている」

という回答が返ってきました。

受講者(=同僚)は「ふむふむ」と納得。

僕には何故納得できるかが納得できないよ。

エクアドルには

高地 → 酸味の強いコーヒーが作れる → 良いコーヒー!

という何とも説明のつかないロジックが存在していました。

これはあくまで一例で、日常生活で話がかみ合わない事が多々あります。

初めは、僕のスペイン語のレベルの問題だと思っていましたが、なんか違う気がしています。

何より、決めつけが激しい。

例えば比をとりたいとき、A/BでもB/Aでも表現できるのに、A/Bしか認めなかったりする。

何がそうさせているのか分かりませんが、「物事にはかならず答えが一つだけ存在している」という信仰が根付いています。

そんなこともあって、論理の飛躍には無頓着なのかもしれません。

「先生がA=Cと言っているから正しい」

てな具合に。

でも、この僕にとってみれば穴だらけのロジックも、「完全に間違っている」と言ってもいいのでしょうか?

中国でも言語を超えた文化の壁があった

思い返せば、中国にいた頃も似たような壁にぶつかっていたような気がします。
中国留学時に当時勤めていた会社宛てに以下のように報告していました。

多くの中国人と触れ合ったことで、日本人と中国人の「礼儀・マナー」に対する根本的な考え方の違いに気付いた。それは、日本人が「マイナスを与えない」ことを礼儀の基本スタンスとしているのに対して、中国人は「プラスを与える」ことを第一条件としているということだ。最も顕著に両者の違いが表れる例として煙草を吸う際のマナーを挙げたい。日本人なら、同席者に対して「吸ってもいいか」許可を得てから吸い始める。それに対し、中国人は煙草の箱から二本煙草を取り出し、そのうち一本をこちらに差し出し「お前も吸うか」と聞いてくる。前者は自分の煙を相手が吸うことの害を意識していることに対し、後者は相手が煙草を吸う喜びを意識している。
この違いに気づいて、これまで自分が感じていた違和感が解けたような気がする。何故中国人は平気で約束をキャンセルするのか、所構わず唾を吐くのか、地下鉄に乗る時に降りる人を待たずに乗るのか、人が並んでいるのに平気で横入りするのか、何故中国ではレストランの店員さんの態度が良くないのか。。。これらは日本人からすれば礼儀の無い腹立たしい中国人の習性であるが、日本人が腹を立てる理由はこのどれもが「相手にマイナスを与える行為・妨害する行為・不愉快にさせる行為」だからである。一方、中国人が仲良くなるとおせっかいなまでに助けてくれたり、しきりに御菓子をくれたり、水を買ってきてくれたり、凄く親切になると感じるのは、彼らが「相手にプラスを与える」ことを当然の礼儀だと考えているからに他ならない。
もちろん、日本でも相手にプラスを与えることは善とされているが、文字通りあくまでプラスアルファであって、「相手に迷惑をかけないこと」が最も基本的なマナーだと考えられている。同じように、中国人も相手に迷惑を与えないことを良いことだと考えているが、彼らにとってそれは絶対しなければいけないことではない。
この違いを知らずして日中間の友好的な交流は実現しないと感じる。お互い礼儀正しく振舞っているはずなのに、日本人は「どうして中国人はあんなことするのだろう」と不愉快になるし、中国人は「どうして日本人はあんなこともしてくれないのだろう」と不機嫌になる。報告者はまだまだ街ゆく中国人の行動が気になってしまうし、中国式のプラスを与える習慣も十分に身についているとは言えない。今後、マイナスに目をつぶる寛容さと、他人に対して当たり前にプラスを与えられる習慣を養うようにしていきたい。

この例は、礼儀に対する意識の差異でしたが、言葉以上の壁がありました。

言葉と共に考え方も体得する必要がある

中国時代の経験で分かっていたはずなのに、エクアドル人とのコミュニケーションにストレスを感じてしまっている自分がいました。

エクアドルにはエクアドルの論理があります。

例え飛躍していても、ここではその理論をベースに話が進んでいる。つまり、エクアドルロジックはエクアドルではちゃんと機能している。

頭ごなしに否定するのではなく、まずは理解する努力をするべきなのかもしれないです。

これがなかなか難しいのだけども。。

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